人に自分のことを話すことは、自分を見つめ直す良い機会にもなるなと思う。
「オランダからガーナにそのまま移住した」というと、驚かれることが多いのだけれど、自分にとっては、「自然の流れ」なので、あまり「なぜ」の部分を意識していなかった。
言われてみれば、洋服が汚れるような場所は嫌いだし(それが嫌で、幼稚園児で砂場遊びを拒否していたぐらいだ)、よくアフリカに行ったものだ。
掘り下げて考えてみると、たぶん、私は、あんな理不尽なアンフェアな環境で、それをわかっているにもかかわらず、自分の国が大好きで、より良い場所に変えたいと願って雇用を創造したいと志す人に心を打たれたのだと思う。
それまで、私は、「自分が経済的に自立し自由を手にいれること」を主軸にキャリアを考えてきた。MBA時代に、彼らと時間を過ごす中で、欧州MBAの切符を手にするまでの努力や道のりを知り、自分の生活の豊かさだけでなく、自分のコミュニティーへプラスのインパクトを与えたいという視線に直に触れ、心打たれたのだ。
彼らは、貧しい家の出身ではないけれども、決して裕福な家の出身ではない。それは、どこか自分の境遇とも重なるところがある。
ガーナでは、ナショナル・サービスという、大卒者が国に対して奉仕する、企業インターンシップのような制度がある。
うちのパートナーは、朝6時から午後2時、午後2時から午後10時までのシフト制を、2つのシフトを働き、(つまり、朝6時から午後10時)、通勤時間もあったので、朝4時に家を出て、午後11時に家に帰るという生活をナショナルサービス時代は送ったという。誰よりも、働いた、と。
その働きが目にとまり、4ヶ月経たずに、工場監督に昇進し、正社員のポジションを提案された。
そうやって、少しずつキャリアを築いてきた。
まだまだ道半ばで何もできていないと、ちょっと弱気になるときには、そんな話を持ち出して、まだまだだけど、確実に少しずつ前進しているじゃないと笑う。少しずつ、応援してくれる人の輪も広がってきた。
MBA中に、出会う人で心を動かされる話をしてくれるのは、皆、ゼロから何かを始めた起業家ばかりだった。そういう人たちの、エネルギー、クレージーさや、何よりポジティブな考え方に、共感し、そういう人に囲まれていたいと思っているうちに、いつの間にか、自分も足を突っ込むことになった。
JUJUBODYを始めてからも、自分のコンタクトを分けてくれたり、私に代わってセールスしてくれたり、商品を気に入って、もしくは応援したいと購入してくれたり、一緒に仕事がしたいと破格の条件で引き受けてくれたり、「行動」で応援してくれる人に出会うたびに、会社員時代には感じたことのない感謝や喜びを感じる。
応援してくれた人が、「始めた頃から知っているよ」と、誰かに話せる日が来るようにしたい。
昔、考えていた「成功」の定義が、留学や起業を経て、根本的に変わったのだと思う。
裕福な生活や、経済的な心配をする必要のない生活をすることが成功なのではない。
ミシェル・オバマのこの言葉が、私が今思う「成功」を的確に定義してくれている。
成功とはどれだけお金を稼いだかということではなく、どれだけ人の生活に違いをもたらしたかということです
たくさんお金を稼ぐということは、それはそれですごいことだと思う。
たまに、手段を選ばず、思いっきり「クロ」な方法で稼いで誇示する人に出会うのだけれど、でも、お金はね、死んだら持っていけない。だから、自分が死んでも何が残るか、何が残せたかだと思う。
それは、自分が病気になって、初めて「死」を主観的に感じて、確信になった。
死んだらね、お金はただの紙切れ。
だから、稼いだら、有益に使うべきだし、そのために稼ぐべきだと思う。自分や家族のためだけじゃなくてね。そうすることで、また自分に戻ってくる、そういうものじゃないかなと、周りの尊敬する起業家の方を見て思う。
それがたとえ小さな違いでもね、この先、何か生みだせれば嬉しいな。